高校受験に失敗しました
2019年1月24日
じつは、「高校受験に失敗」という過去をもっています。
小学校時代
小学校時代のわたしは、身長が140㎝なかったおちびちゃんでした。
兄の同級生に「かわいい」ともてはやされ、とても恥ずかしかった記憶があります。
特に勉強をしていたわけではありませんが、成績は「優秀」でした。
勉強が好きだったので、授業をまじめに聞いていたからだと思います。
(テスト前の勉強していない自慢はしない派です)
中学校時代
男子としてみられたいのに「かわいい」と言われ、徐々に身長にコンプレックスをもつように。
毎日牛乳をがぶがぶ飲み、昼休みには保健室で身長をはかり、友人と伸びしろを競っていました。
そのおかげか、中学3年間で「30㎝以上」も伸びてくれました。
- ポッキー
- マッチ棒
- ひのきのぼう
ガリガリをモチーフにつけられた名前は、数えきれません。
成績は優秀でした。(2回目)
「学校の授業がつまらない+友人が通っている」ので塾にいったのですが、1~2位を争うくらい、塾での成績もなかなかのものでした。
しかし、中学3年生になり少しずつグレだしてしまい、内申点はどんどんさがっていったのです。
(授業中に寝たり、髪の毛をいじるくらいのかわいいグレかたです)
高校受験
特にいきたい高校もなかったので、
- 学校が近い
- 制服がブレザー
- そこそこの偏差値(高すぎるとまじめな人が多い、とイメージしていたので)
という理由で、公立高校を決めました。
私立高校も受験して「特待生」として合格しましたが、興味がなかったので入学金を払わず、「すべり止めの権利」も放棄することに。
運命の合格発表
そして合格発表の日。
母の運転で、友人2人(1人は同じ志望校)と受験番号をみにいくことに。
3人とも手応えがあったので、高校生活に胸を膨らませながらむかいました。
そのときの衝撃は、今でも覚えています。
自己採点で「480点(500点満点)」あったので、落ちるとは微塵も思っていませんでした。
いざ番号をさがしてみると、どうも見当たりません。
「あれw番号ないんだけどww」
などと笑いながら、さがしていました。
しかし、何度さがしても「自分の番号」が見当たらないのです。
先に番号をみつけた友人にもさがしてもらいましたが、見つかりません。
まだ現実を受け止められないわたしは、先に車にもどり、母にさがしてもらうことに。
車でぼーっと待っていたら、母がもどってきました。
時が止まるとはこういうものなのでしょう。母が泣いていたのです。
そのときはじめて、「落ちた」と脳が認識しました。
友人2人がいる中で大号泣、そのあとの記憶はありません。
(書いていてうるうるしてきました)
私立を蹴っていたので途方に暮れていたところ、通っていた塾の塾長が「広島のとある高校」に推薦してくれることに。
特別に試験を受けさせてもらい、無事高校にいけることになりました。
あとで聞いたところによると、志望した高校は、岡山県内でも「特に内申点を重視する高校」だったようです。
I先生、その節は本当にありがとうございました。
まとめ
高校受験に失敗しましたが、そのおかげで今のわたしがあるので後悔はありません。
しかし、ひとつだけ言わせてください。
「内申点1は絶対だめ!!」
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プロフィール
中原牧人(まきと)
若くて相談しやすい、30代の税理士です。
岡山県倉敷市を中心に、全国のスモールビジネスをサポートしています。
・中原牧人税理士事務所 代表税理士
・合同会社MIOコンサルティング ひとり社長
・一般社団法人はれとこ 監事
1987年10月13日島根生まれ、岡山育ち。
娘(9歳)を溺愛している。